■「掘建て柱」の引き倒し実験

●目的

古代の建築や民家でもかなり近い時代まで柱の根本を土のなかに埋め込む「掘建て柱」が広く使われてきた。そして、昨年偶然発見された出雲大社の巨大な柱も「掘建て柱」であった。しかし、実はこの「掘建て柱」は、その大きさだけではなく、作られ方についても他に例をみないものであった。そこで、平城宮などで発見されている一般的な「掘建て柱」と出雲大社の「掘建て柱」が、その強さなどがどのようにちがうのか、モデルを実際に作って実験で調べてみることにした。

●平城宮と出雲大社の掘建て柱 -どこがどうちがうのか?-

宮本長二郎先生が書かれた「平城京」(草思社)という本には、奈良の平城京から発掘された「掘建て柱」の作り方が示されている。それらは大抵、図1のように柱の直径の3倍位の深さに、四角く地面を掘って、真っ直ぐに柱をその穴の中央に落とし込んでいる。柱の下は地盤が柔らかかったり、大きな荷重が乗る場合には石や礎盤を置くという。柱の周囲は掘り取った土を固く叩いて締め固めるらしい。また、平城京では粘土質である。

図1 一般的な掘建て柱(宮本長二郎著「平城宮」草島社刊より抜粋)
一方、図2は今回見つかった出雲大社の出土状況の模式図。上は断面、下は平面図である。柱根は平安時代ごろの地面から2m位の位置に3本束ねた状態で埋まっていた。一本の柱の直径は1.1m位。深さは柱一本の直径の1.5倍くらいになる。


図2 宇豆柱の出土状況
柱の穴の平面形は楕円形で、しかも一方は約20度位の傾斜をもった円錐状である。もう一つ柱の周囲は直径数十センチから拳大位の丸い石がぎっしり詰められていた。但し、柱の下には石などは敷かれていなかった。 また、これらの石同士は粘土のようなもので固めていた可能性がある。なお、周囲の地盤は砂や礫質である。 このように、今回見つかった掘建て柱は穴の形や柱の固め方などが今までのものと随分異なっているので、その巨大さとともに、このような柱の建て方の柱は、今まで知られていた普通の掘建て柱と比べてみることになった。

●実験の計画

実際に建てた柱は図3に示す4種類。穴の形は四角柱状にするか、円錐状にするかの2種類。土で固めるが、石でかためるかの2種類。そのほか、3本束ねたものである。 柱の直径は大体30センチ。地面から高さ2.5m(直径の8倍)の位置で水平に引張って倒すのである。柱穴の深さは直径の3倍の90cm。穴を掘ったあと20センチほど土を入れて踏み固めて、その後垂直に柱を吊り込んで周囲をそれぞれ土や石でつき固めた。
図3


なお、この他に上に高さ30センチほどの土饅頭をつき固めたものも実験後に追加。 また、載荷方法や測定の方法は図4に示す通りである。 建て方の状況は写真参照。なお、実験の行った地盤は砂混じり粘土質の盛土である。

●実験の結果

高さ2.5mの位置に加えて引張力の大きさと、そこでの柱の水平方向への変位の関係を図5に示す。四角い穴を掘って土で固めた従来のやり方に比べて、石で固める方がやや弱い。さらに円形の穴で石で固めた場合は更に強度が低くなった。3本束ねた場合は加力方向にもよるが、それより更に弱かった。
図5

柱A2


出土したのと同じ状況ならば、わざわざ手間暇を掛けて石で固めた掘建て柱の方が随分弱い。石組は本来は大きな力を周囲に分散するのに効果があると期待したが、実際に自分たちが施工すると、石は動いたりするようだ。石本来の強さを発揮させるには、飼石や裏込めなどに高い技術がいるのではないか?粘土で石同士を固く固めることができたら随分違うはずだが、これには施工に手間も時間もかかる。 もう一つ考えられるのは、地面の表面に露出している石組を土で覆って締め固たら、柱からの支圧力が上から加わることもあって、石の緩みを防止できるのではないか? これは一種の「亀腹」である。こうして弱かった石の掘建て柱の周囲に、大きな亀裂はあってもお構いなしに急遽、土饅頭を盛り上げた。時間は30分とかからない。 こうして、実験再開。この結果は驚く程だった。水平抵抗力は倍位改善できた。

●今後の課題

あまり締まっていない砂質地盤では矢板を使わなければ、斜面状にしないと穴は掘れないだろう。しかも、このようなところに建てた柱はいくら土で固めても、砂上の楼閣になる可能性がある。やはり、しっかりとした石組を作って広い範囲に力を分散させるとともに、この石組みを基礎として、その上を盛り土で固めれば大変強固な掘建て柱を建てることができるのではないか? また、地下水位が高い場所では、直径の何倍もの深さの穴を掘ることは難しい。それならば、浅く掘って、広い範囲を石で固めて、「亀腹」のような盛土を構築してもよいのではないか? そのような印象を持った。 なお、大阪の難波宮跡では八角堂の柱跡が出土している。これは興福寺の南円堂より大きな掘建て柱の建物といわれている。実はこの建物でも、柱の埋め込み深さが想像以上に浅かった。これは当初の盛土が削られたためという。こんなこともありうるだろう。 今後も「掘建て柱」の実験を続けて行きたいと思っている。